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ISSEY MIYAKE

イッセイ ミヤケ

2011.12.27 update | COLLECTION

ISSEY MIYAKE

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Designer
Yoshiyuki Miyamae
宮前義之

date:October 2nd 2011
start:15:00
place:Espace Ephémère Tuilerie
art direction:Roy Genty, Laetitia Goffi
stylist:Kyoko Fushimi
hair:Eugene Souleiman,
Wella Professionals
makeup:Luciana Pieroni and the M∙A∙C PRO Team
music:Masato Hatanaka

ISSEY MIYAKE

4代目デザイナーに宮前義之が就任したイッセイ ミヤケ。パワフルで未来的なステージを見せたデビューショーは、「Bloom Skin」をテーマに、つぼみのようなシェイプのジャケットや花びらから発想されたドレープドレスなどが提案された。スキンカラーと鮮やかな色彩、風をはらむ軽やかなシルエットが印象的だ。このメゾンならではの凝ったマテリアルも豊富で、綿と紙糸を交織した滑らかな質感のドレス、グラフィカルなオパール加工のトップス、シルクのような高密度ポリエステルのオールインワンなど、メイド・イン・ジャパンにこだわった服の数々が登場。繊維産地の職人とともに創造するという三宅一生の精神を継承し、日本の伝統とテクノロジーを伝えるコレクションとなった。

text:Mariko Mito(B.P.B.Paris)
photographs:Shin Shin

www.isseymiyake.com
イッセイ ミヤケ tel.03-5454-1705

DESINGNER INTERVIEW

宮前義之

藤原 大からバトンを受け取って、イッセイ ミヤケの新しいデザイナーに就任したのは、35歳の宮前義之だ。就任早々、テレビ番組に登場して、日本でファッションを産業として率いていくことの難しさと熱意のほどを語っていたが、プリーツ プリーズ イッセイ ミヤケやA-POCで世界的に広範な評価を手にしてきたブランドが生まれた中で、イッセイ ミヤケをどんな方向に進めようとするのか、世界から期待が寄せられている。まずは、その素顔を知りたいーー

——
宮前さんは、高校生の頃から装苑賞に応募したりしていて、三宅一生さんも注目されていたという話を聞きましたが、どういう経緯で洋服のデザインをすることに?
宮前義之(以下M)
学生服の詰襟が嫌だったので、私服の高校に進学しました。高校に入ってすぐのころ、草月会館で行われていたフランスのコンテンポラリーダンスを興味本位で観に行ったのですが、それをきっかけに舞台の世界に魅了されるようになりました。ダムタイプや勅使河原三郎さんなど、いろいろな舞台を観に行きましたが、その流れの中で、あるブランドのショーにも行きました。その時ファッションショーというものを生まれて初めて見たのですが、涙が出るくらい感動したのを今でも覚えています。
そのショーの帰り道に、無性に服を作りたくなって、とりあえず500円の既製品のパターンを買って帰り、はさみで紙をチョキチョキ切って、セロテープで貼り付け、服の形を作ったのです。割と簡単にできるんだなと思い、家にミシンがあったので今度は布を使って、自分が着るための服を作りはじめました。それが服を作りだした最初のきっかけです。
——
何を作ったのですか?
M:
初めはシャツからスタートしました。1週間に1着ぐらいのペースで作り始めて。高校時代におよそ80着を作りました。
——
すごい!
M:
最初は作ったことに満足していたのですが、自分で着ているうちに"なんかおかしいこと"に気付きました。初めは既製服を参考に、見様見真似で作っていたのですが、なかなか思い通りの形にならず、古着屋へ行ってジャケットを買って分解しました。ジャケットを分解してみると、肩パッドが入ってたり、芯が入ってたり、それまで見た事のないパーツがいっぱい入っていることがわかり「これは全然違う世界だ」と思いました。デザイナーになるために卒業後パリへ行こうと思い込んでいた時期もありましたが、その時には「一度基本からちゃんと勉強しなければ」と強く思うようになりました。その当時、活躍するデザイナーのプロフィールを雑誌で調べてみると、文化服装学院を卒業し、装苑賞を受賞していることも分かってきました。それを知り、高校生なりにデザイナーになるためには装苑賞に挑戦しなければいけないんだと感じ、初めてデザイン画を描いて送ったのです。その時描いた画が偶然にも入選し、装苑編集部から制作費と寸法表を与えられました。それまで、女性の服を一回も作ったことがなかったので、初めて女性用のスタン(ボディ)を購入しパターンの引き方も分からなかったので、装苑の作り方のページを参考にしたりして、最初の1作目は手探りで完成させました。
——
それが17歳のことで最年少の受賞でしたね。
M:
最年少ということよりも、何も分からない中で、自分の出来る限りの表現方法を見つけ無我夢中で作り上げました。その作品が受賞できたことはとても嬉しかったです。
——
三宅一生さんとの出会いは、どんな風だったのですか?
M:
私は谷中の「スカイザバスハウス(scai the bathhouse)」というギャラリーが好きで高校生のころからよく通っていました。偶然にもそこのオーナーの白石さんに「君、そんなに服が好きならショーに行くか?」と誘っていただき、初めてイッセイ ミヤケのショーに連れて行ってもらいました。94年の春夏シーズンのショーで、服が踊り、色が溢れるのを目の前で見て、本当に心から感動しました。
——
コンテンポラリーダンスや現代アートをその年齢にしては相当ご覧になっていますが、そういうものに惹かれる気持ちと、洋服とを繋げようとは考えていなかったのですか?
M:
葛藤はありましたね。文化服装学院を卒業して、進路を考えた時、それまでずっと洋服漬けで、身の回りの何を見ても服のアイデアにならないかとばかり考えるような毎日だったことを思い返し、洋服だけでなく舞台や音楽、アートなど色々なものに触れて視野を広げたいと思い立ち、1年の予定でニューヨークに旅立ちました。帰国後、一生さんがA-POCを始めたという話を聞いて、自分の中で「チャレンジしてみたい」という気持ちが強くなり、2001年に三宅デザイン事務所に入社しました。A-POCのプロジェクトが本格的にスタートして間もない頃です。A-POCのチームで仕事をしていた期間には服作りだけではなく、展覧会など様々な経験を積むことができました。
——
宮前さんの頭の中には「イッセイ ミヤケでこういうことをやりたい」というものがあるというよりも、むしろチャレンジしながら、どんどん見えないものに向かって進む、という感じを受けますが、どうでしょう?
M:
そうかもしれないですね、やりたいことは沢山ありますが、あまり先のことは決めない方が面白い場合もあります。ただし、常に課題は持つようにしています。
——
藤原さんの後を継いで、なにか期待されてることを感じませんか。
M:
現場の課題は山積みです。経験は浅いですが、これから若いチームとともにひとつひとつの問題にぶつかりながら、失敗を恐れず、新しいことにチャレンジして行こうと思います。
——
イッセイ ミヤケのひとつの標準を出すというか、そういうものを求められているのではと推測しますが。
M:
私が三宅から学んだ大切なことは、常に服は着る人がいるということです。着る人がどう感じるのか、着ていて不自由な箇所はないかといった日常生活に根付いた考えを前提にして、仮縫いは進められます。しかし、自分がデザインの現場に入っていく中で、時としてそのことを見失いがちになる時があります。例えば、もっとダイナミックな色使いやフォルムにしようとか、どうしても表現が先行してしまうことがあるんです。しかし、その都度、社会との繋がりや幅広い視点を持つことの大切さ、また、時にはものごとを客観的に捉えたり、様々な視点からの判断がデザイナーには求められるという基本の考えに引き戻されます。そのため、常に自問自答しながら仕事に取り組むようになりましたね。イッセイ ミヤケというブランドは昨年40年を迎えました。三宅のモノ作りの精神を引継ぎ、チームと共に一歩一歩成長してゆきたいと思います。

Yoshiyuki Miyamae
1976年東京生まれ。'98年文化服装学院アパレルデザイン科卒業。2001年三宅デザイン事務所入社。三宅一生と藤原大が率いるA-POCの企画チームに参加。'06年 ISSEY MIYAKEの企画チームに加わる。'11年 ISSEY MIYAKEデザイナーに就任。