The History of Lace レースの歴史

『装苑』2005年4月号
古賀令子(文化女子大学教授)=文

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ニードル・ポイント・レース
左側よりできあがってゆく模様。ボビンを使用せず、縫い針だけで作った針レースといわれるもので、柄を描いた羊皮紙の下に麻布を敷き、糸を通してゆく。完成後、布と羊皮紙は取り除く。
文化学園服飾博物館蔵

 レースの起源は古い。古代エジプトの遺跡から一種のボビン・レースがボビンとともに発掘されており、日本にも奈良時代に唐からもたらされた「世界最古」とも推定されるニードル・レースの一種が唐招提寺に所蔵されている。

 しかし現在のような「レース」に発達したのは13〜14世紀頃である。フランドル地方で白い亜麻糸をボビンに巻いてブレードを編むことが行なわれ、14〜15世紀頃にはクッションを使って「ボビン・レース」を編むことがイタリア辺りで考案されたという。ボビンとは「小さな糸巻き」という意味で、クッションの上などでピンを使って糸を交差させて編むとき、鉛や骨、木製のボビンにもつれないよう糸を巻きつけて錘(おもり)を兼ねて用いたことからこの名で呼ばれる。リボンやブレードの織機で織られることもあった。

 レースは、組み紐技法を基盤にしたこの「ボビン・レース」と、「ニードル(・ポイント)・レース」という刺繍技法をベースにしたものとに大きく分けられる。ニードル・レースは、針(ニードル)で作るレースのことで、基布の織糸の一部を抜いて作った「透し」格子の上に刺繍する技法(「レティセラ」)からスタートし、基布を用いず糸だけで作る「プント・イン・アリア(空気に刺して作ったレースの意)」へと発展した。

 ニードル・レースはヴェネツィアの刺繍職人の間で、ボビン・レースはアントワープ周辺とヴェネツィアとの両方で、ほぼ同時期に産業化されるようになった。16世紀半ば頃である。この時期ヨーロッパ中で流行った大きなヒダ衿もレースを必要とし、たちまち服飾には不可欠のものとなったという。このようにレース製造は、北イタリアとフランドルという2地方で同時に発展したが、この両地方はこの時期に普及・発展しつつあった印刷術の2大中心地でもあった。レースの最新流行は印刷メディアにも助けられて非常に早く伝わることになり、1575年頃にはヨーロッパ全域にレース製作が広がっていた。

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ボビン・レース
文化学園服飾博物館蔵

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カトリーヌ・ド・メディシス
Garalleia Palatina, Firenze

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エリザベス1世
National Portrait Gallery

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メアリー・スチュアート
Scottish National Portrait Gallery

 レース製作はほとんど女性の仕事だった。下着作りの女性職人や修道女たちがこれに従事したが、高貴な女性も製作を行なった。日本でも同様だが、縫い物や編み物、刺繍などの針仕事はあらゆる階層の女性の必須の技術として幼い頃から仕込まれた。長く幽閉されていたスコットランド女王メアリー・スチュアートやフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスは、刺繍やレース製作で時間を過ごしたと伝えられる。

 しかし着用者は女性とは限らなかった。17世紀の装飾過剰なバロックのモードをリードしたのは男性だった。粋を競う騎士たちのモードにレースは不可欠のものとなり、甲冑の上にも高価な大きいレースの衿をつけ、袖口にも、ブーツの折返しにもレースを重ねた。肩帯や手袋、ふくらはぎの飾り紐や靴の花結びにも金レースの装飾をつけ、キュロットやジュストコールの縫い目には金や銀のレースでアクセントをつけた。この時代、女性よりもむしろ男性のほうがレースを必要とした。

 世紀半ばには、デザインと技法を大きく進展させた立体的な「グロ・ポワン」が台頭する。フランス宮廷では、このグロ・ポワンが身の回りから、王室では家具にまで用いられ、グロ・ポワンなしに宮廷人としての面目を保つことは困難だったという。最も美しいものはヴェネツィア製に限られたため、ヴェネツィアからのレース輸入はフランス国庫を圧迫するほどで、ルイ14世の財務総監だったバティスト・コルベールにとってレース対策は最重要課題の1つだった。数度の禁止令も貴族たちのレース熱を冷やすことはできず、国内レース産業促進に活路を見出そうとする。スダンやアランソンなど国内数か所に王立レース工房を設置して、ここにヴェネツィアやフランドルの熟練レース職人を招聘し、フランス・レースのレべルアップを図ろうとした。ヴェネツィア政府は職人たちの出国禁止で対抗する。違反者には帰国後死刑を科す厳しい禁令だった。コルベールとヴェネツィア駐在大使間には、暗号を用いた密書が交わされていたという。「レース戦争」は、まさに国の経済基盤を左右する経済戦争だったのだ。

 フランスはヴェネツィア・レースを徹底的に模倣し本物と見まがうような技術レベルに達し、さらにフランス独自のレース確立を目指してデザイン面の強化にも力を入れた。モチーフも太陽やユリの花、大きな花瓶などフランス的なものが用いられるようになり、構図も大きくなった。ルイ14世は、宮廷人に国産品の着用を義務付け、自身も多額の国産レースを率先購入した。こうした強力な振興策が功を奏して、短期間にフランス製レースは「ポワン・ド・フランス」としての高い評価を受けるようになった。17世紀後半はフランスがヨーロッパ・モードや装飾芸術の中心地として確立された時期でもあり、逆にヴェネツィアやフランドルがフランス・レースを模倣するようになったのだ。

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グロ・ポワンがベ−スのレース
小さなピコットやブリッドで繋がれている。ポワン・ド・フランス、ポワン・ア・ラ・ローズなど様々な種類がある。
共に文化学園服飾博物館蔵

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マリー・アントワネット
Musée de Versailles

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ポンパドール夫人
袖口のレースがアンガジャット
The Wallace Collection, London

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ポンパドール夫人
National Gallery, London

 18世紀になるとモードの主人公は女性へと移行し、繊細で軽やかな「ロココ」スタイルが展開される。レースは引き続き重要で、高貴な女性たちは「アンガジャント」と呼ばれる袖口飾りにレースを重ねて用い、ヘアキャップにもレースを必要としたが、重いニードル・レースよりも軽くて繊細なボビン・レースが好まれ、フランドル・レースがもてはやされるようになった。「スタマッカー」と呼ばれた装飾的な胸当てにも金や銀のレース装飾が用いられた。金のレースは、男女の衣裳の装飾として17〜18世紀にかけて広く使われた。しかし本物の金レースは溶かされて再利用されたためか、ほとんど現存しない。アンガジャント1対だけでもおよそ4〜5mのレースが必要で、全身に大量のレースが用いられたが、レースは極めて高価なものだった。レース1mの価格はそれを作る職人の年俸を超えるものが少なくなく、同重量の金を凌ぐ価値があったともいう。男性のレース着用は前世紀に比べ減少したが、クラヴァットやカフスなど必須のアクセサリーではあり続けた。

 モードとしての圧倒的魅力を持つ高価なレースは、その生産地に多大な外貨をもたらす重要産品であり、ヨーロッパ各地でそれぞれ独自のレースが発達していく。フランスのアランソンはポワン・ド・フランスから独自のスタイルを確立し、ブリュッセルは精巧なボビン・レースで名を馳せる。

 しかし、産業革命やフランス革命の影響がレースに打撃を与える。18世紀末にはフランスとフランドルのレース産業はほぼ壊滅状態に至ったという。代わって19世紀には機械編みのレースが台頭し、複雑な模様のレースが安価に大量生産されるようになった。レース機械の発明と改良は、18世紀からイギリスを中心に進められていたが、1830年代末には本格的な機械レース製造が可能になった。

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1750年頃 レースカフス
文化学園服飾博物館蔵

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1740年頃 帽子の後部 メクリンレース
共に文化学園服飾博物館蔵

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結婚式のヴィクトリア女王

 19世紀初頭にしばらく影をひそめていたレースは、ロマンティック・スタイルやクリノリンとともに再び流行する。フランスのユージェニー皇后は大変なレース好きとして知られ、新しい機械レースの導入にも、伝統的手工レースの保護にも熱心だったという。

 19世紀に一躍有名になった(手工)レースに「ホニトン・レース」がある。英国の地方都市ホニトン産レースは、16世紀後半に渡英したフランドル人の技術を元に発達し、特にヨーロッパ屈指の高級ボビン・レースで知られるようになっていた。ヴィクトリア女王のウェディング・ドレスとヴェールに用いられたが、このレースは36人の職人が1年半かけて完成させたといわれる。これをきっかけに「白いウェディング・ドレス」がミドル・クラスの女性に浸透するが、贅沢なホニトン・レースも憧れの対象となった。

 しかし、レースのイメージとファッション性を充足する機械レースは、ブルジョワジーから一般の女性たちへと広く浸透する。もはやレースは特権階級のものではなくなり、容易に手に入るものとなった。当然、使われ方も変化し、室内着やランジェリーの装飾として豊富に用いられるようになった。

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胸飾り ボビン・レース
28×26cm
文化学園服飾博物館蔵

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1830年頃の帽子の後部
35×20cm
文化学園服飾博物館蔵

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ホニトン・レース
文化学園服飾博物館蔵

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ユージェニー・デ・モンディージョ皇后

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ボビン・レース
20×16cm
ブリュッセル
文化学園服飾博物館蔵

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アイリッシュレース 1925年頃
文化学園服飾博物館蔵

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チュールレース 1920年頃
文化学園服飾博物館蔵

 21世紀の今、レースは女性の下着に欠かせない一部となって、その存在さえも意識させないほど日常に溶け込んでいる。しかし、レースの魅力----ロマンティックでフェミニンな、清楚あるいはセクシーなイメージに加えて、繊細な外観や独特の光の効果等々----はクリエーターたちのイマジネーションを刺激せずにはおかず、ランウェーに繰り返し登場する。今シーズンもレースから目を離せない。

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2005 S/S Paris Collections
 
CHANEL(画面 左)
 
JUNYA WATANABE
COMME DES GARÇONS(画面 中央)
 
UNDER COVER(画面 右)

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エンブロイダリーレース ショ−ル
文化学園服飾博物館蔵

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アイリッシュレース 1900年頃
文化学園服飾博物館蔵

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リバーレース19世紀 フランス
文化学園服飾博物館蔵

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チュールレース101×98cm
文化学園服飾博物館蔵

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